四国八十八ヶ所霊場巡拝

 

  歩き遍路指南書

 

 

 四国霊場開創の基(談議所・十輪寺)

入唐求法から戻られた弘法大師(空海)は九州大宰府に留め置かれ

その後、阿波鳴門板東の地十輪寺にて、高僧を集め四国霊場につき

談議した所と伝えられ、その約五年後(八一五年)今の一番札所に立ち寄り二一日の修行をへて[竺和山霊山寺]と命名する。

四国霊場開創はこの十輪寺に始まるのです。  是非ご参拝を

  板東駅から八百メートル、萩原バス停前

 

本四国四分道場

一、 発心の道場(徳島県)

    発心とは発菩提心の略、自らは悟りを求め衆生を利益せんと願う心を起こすこと。

    この発心あってこそ、修行、菩提、涅槃、へと導かれるのです。そして八十八番大窪寺で発心の芽が結実し結願となるのです。

    遍路行、仏道を歩む者にとって無くてはならない心、それが発心です。

    札所を巡る事のみで結願するのではなく、仏道を歩もうとする心が無ければならないのです。発心の心を持って巡られるお遍路

    さんは、そのお参りの姿に発心が表れます

    姿、形より心をこそ整えなされてお遍路なされますように。

 

二、修行の道場(高知県)

   発心したるその念い、行じてゆくのが修行の道場、利他の心を育くまん。

   自分が出来る事をば一つづつ、思い描きつ行ず道。

   (試行錯誤しながらの状況)

 

三、菩提の道場(愛媛県)

   心洗われて、「忘己利他」の心を込めて行ず道。

   (修行が進み自然な形で行ぜられる状況)

 

四、涅槃の道場(香川県)

   菩薩行をば重ね来て、自利利他円満する中に、結願遂げて行満てり。

   (周りを一切気にせず、利他の行が自然に行ぜられる状況)

 

発心の道場から比べて、己が心の向上をハッキリと自覚される時、その人は真実結願したと言えるのです。遍路は回数ではありません。真実遍路する事で大師の教え『十住心』を昇るのです。

 

札所巡拝作法

一番札所霊山寺よりいざ遍路

 

発心の朱門をくぐり山門へ

山門の前で                 合掌一礼

手水に着きては               合掌一礼

洗心の一念込めて、三業懺悔の意思表示

   手を浄めては    身業懺悔

口を浄めては    口業懺悔

柄を浄めては    意業懺悔       合掌一礼

鐘楼に着きては               合掌一礼

煩悩滅除の一念込めて    一打      合掌一礼

 (鐘は打てない札所も有りますのでご注意下さい)

 

本 堂 へ

 

ロウソク一本灯明をあげ(上から下へ、外側から中へ)

煩悩焼去の一念込めて            合掌一礼

線香三本ロウソクより転火(中央から外側へ)

三帰、三竟、三蜜加持の一念込めて      合掌一礼

  納札、写経を納め              合掌一礼

  賽銭を納め                 合掌一礼

  

合掌礼拝

「おんさらばたたぎやたはんなまんなのうきゃろみ」

 

読経

 

開経偈かいきょうげ   仏法にあうことのよろこび 

むじょうじんじんみみょうほう   ひゃくせんまんごうなんそうぐう

無上甚深微妙法  百千万劫難遭遇

 がこんけんもんとくじゅじ    がんげ にょらいしんじつぎ

我今見聞得受持  願解如来真実義

 

懺悔文さんげもん   罪深き自分を反省する

 が しゃくしょぞうしょあくごう      かいゆ む し とん じんち

我昔所造諸悪業  皆由無始貪瞋痴

 じゅうしんごい  ししょしょう      いっさいがこんかい さんげ

従身語意之所生  一切我今皆懺悔

 

三 帰 さんき 

 でしむこう    じんみらいさい

弟子某甲 尽未来際         

 きえぶつ   きえほう    きえそう

帰依仏 帰依法 帰依僧       三唱

 

三 竟 さんきょう

 でしむこう    じんみらいさい

弟子某甲 尽未来際         

きえぶつきょう   きえほうきょう  きえそうきょう

帰依仏竟 帰依法竟 帰依僧竟    三唱

 

十善戒 じゅうぜんかい

 でしむこう    じんみらいさい

弟子某甲 尽未来際         

ふせっしょう  ふちゅうとう ふじゃいん

不殺生 不偸盗 不邪淫

 ふもうご    ふきご    ふあっく   ふりょうぜつ

不妄語 不綺語 不悪口 不両舌

ふけんどん   ふしんに   ふじゃけん

不慳貪 不瞋恚 不邪見       三唱

 

発菩提心真言 ほつぼだいしんしんごん

 

おんぼうじ しった ぼだはだやみ  三唱

 

三摩耶戒真言 さんまやかいしんごん 一切菩薩の律儀具足す

 

おん さんまや さとばん      三唱

 

般若心経 はんにゃしんぎょう

 

ぶっせつ まかはんにゃはらみたしんぎょう

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

   かんじざいぼさ    ぎょうじんはんにゃはらみたじ    しょうけんごうん

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊

かいくう  どいっさいくやく    しゃりし   しきふいくう    くうふ

皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不

いしき   しきそくぜくう  くうそくぜしき  じゅそうぎょうしき やくぶ

異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復

にょうぜ  しゃりし    ぜしょほうくうそう  ふしょうふめつ   ふく

如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢

ふじょう  ふぞうふげん   ぜこくうちゅう   むしき  むじゅそうぎょう

不浄 不増不減 是故空中 無色 無受想行

しき   むげんにびぜっしんに    むしきしょうこうみそくほう   むげん 

識 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味觸法 無眼

かいないし   むいしきかい    むむみょうやく  むむみょうじん  ない

界乃至 無意識界 無無明亦 無無明盡 乃

 しむろうし    やくむろうしじん   むくしゅうめつどう   むちやく

至無老死 亦無老死盡 無苦集滅道 無智亦 

むとく    いむしょとくこ    ぼだいさった    えはんにゃは み

無得 以無所得故 菩提薩 依般若波羅蜜

 たこ   しんむけいげ    むけいげこ     むうくふ    おんり

多故 心無礙 無礙故 無有恐怖 遠離

いっさいてんどうむそう   くきょうねはん  さんぜしょぶつ   えはんにゃ

一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸仏 依般若

 はらみたこ      とくあのくたら    さんみゃくさんぼだい  こち

波羅蜜多故 得阿耨多羅 三藐三菩提 故知

 はんにゃはらみた     ぜだいじんしゅ  ぜだいみょうしゅ  ぜむじょう

般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上

 

しゅ  ぜむとうどうしゅ   のうじょいっさいく   しんじつふこ    こ

呪 是無等等呪 能除一切苦 眞實不虚 故

 せつはんにゃはらみたしゅ    そくせつしゅわつ  ぎゃて ぎゃて  は

説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 羯諦羯諦 波

 らぎゃてはらそうぎゃて       ぼうじそわか     はんにゃしんぎょう

羅羯諦波羅僧羯諦 菩提薩婆訶  般若心経   

 

御本尊真言 ご ほんぞんしんごん 

 

釈迦如来 しゃかにょらい

 のうまくさんまんだ ぼだなん ばく 三唱

(ご本尊の真言が分からない時は南無本尊界會「なむほんぞんかいえ」三唱)

 

光明真言 こうみょうしんごん

 

おん あぼきゃ べいろしゃのう 

まかぼだら まに はんどま じんばら 

はらばり たや うん        三唱

 

御宝号 ごほうごう

 

 なむだいしへんしょうこんごう

南無大師遍照金剛          三唱

 

廻向の文 こうもうん

 

 ねが        こ   くどく  も     あま   いっさい  およ

願わくは 此の功徳を以って普ねく一切に及

    われら  しゅじょう みなとも  ぶつどう じょう

ぼし我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん

 

        祈  願

 

読経を終えて        合掌一礼

 

大 師 堂 へ

 

 各々本堂に順ずる(ご本尊真言のみ省略)

  

その他の堂宇を礼拝する

  

仏塔については舎利礼文を  

 

舎利礼文 しゃりらいもん

 

いっしんちょうらい まんとくえんまん  しゃかにょらい   しんじんしゃり     

一心頂礼 万徳円満 釈迦如来 真身舎利 

ほんじほっしん    ほっかいとうば  がとうらいきょう   いがげんしん

本地法身 法界塔婆 我等礼敬 為我現身

にゅうががにゅう   ぶっかじこ    がしょうぼだい   いぶつじんりき

入我我入 仏加持故 我証菩提 以仏神力

りやくしゅじょう  ほつぼだいしん   しゅうぼさつぎょう どうにゅうえんじゃく

利益衆生 発菩提心 修菩薩行 同入円寂

びょうどうだいち  こんしょうちょうらい

平等大智 今将頂礼

 

納経を済ませて 山門を出て             合掌一礼

 

読 経 と は

経を読むことであり経本の字を読むことではありません、経文に書かれている仏の心を読み取り実践出来てこそ、経を読んだ、経を読めると言えるのです。

 

納 経 と は

帳面に朱印を頂く事ではありません、それはお参りを済ませたという証にしか過ぎない。

真実納経とは、経に書かれている仏の心を一念込めて己が心に納めることであり、己が心を読経に込めて仏の元に納めること。『入我我入』

真言宗、弘法大師空海の教え     三蜜加持の一歩です。

 

次 の 札 所 へ

 

新 旧 遍 路

 

遍路の始まりは、衛門三郎懺悔旅

四十七番八坂寺先の「文殊院」その辺りが衛門三郎の生家住居跡とされており、八人の子供の塚『八つ塚』や『札始め大師堂』が近くに在ります。

衛門三郎は順打ちを重ねて大師に巡りあえず逆打ちを重ねて、十三番大日寺から十二番焼山寺の麓で念願の大師に出会い、懺悔し終えて生命はてるのです。そこが『杖杉庵』として今に残る地です。

このいわれから逆打ちに利益ありと伝えられて居ります。

はるばる北海道や沖縄から来られる人達、多くの費用と、多くの時を無駄に費やして、以前の生活より要らざる業を背負い込み、悪しき人生を歩む人の多きこと。

当に『迷故三界城』自らの業、煩悩にしばられて生きるのみ。

真実遍路する中に心洗われて、城郭は崩れ悟りへの一歩を踏み出す。

ここに『悟故十方空』心の自由を得る道が開かれるのです。

この肉体は多くの制約を受けて、不自由に感じられる事が多々有りますが、心はこの宇宙をも駆け巡ります。

白衣、白装束はこれ死に装束であり、杖は卒塔婆、墓標となって葬られるのです。

いにしえの遍路は、獣道をも歩いた事でしょう。旧い遍路道には、苔むした遍路墓が点在します。野仏の地中に眠る遍路も居られます。

今、私たちが巡る遍路道は数知れぬ遍路の血と汗と涙で固められた道なのです。

あだおろそかに巡れましょうか、遍路墓や野仏に手を合わせずに通れましょうか・

幾多の遍路や大師を偲んで建てられた、大師堂、地蔵堂、観音堂、等々地元の人達の信仰の場にどうして立ち寄らずに居られましょうか。

どうか真実遍路される事を祈ります。

歩くと言う字は止まれ少しと書きます、先を急がずたまには止まって自然と対話して御覧なさい。そこここに営まれる生命の生き様と、己の生き様を対比する時、多くのことに気づかされます。

そこに懺悔と向上が生まれるのです、新たな自己の発見があるのです。

遍 路 道

 同行二人 霊魂不滅 杖をつかずば共ならず 歩く道こそ 遍路道

同行二人 追随修行 修行なくして同行ならず 歩く道こそ遍路道

経本読誦 帰依三宝 経を行ずる人生は 一日一生遍路道

三業懺悔 いや忘己利他 自利利他円満すればこそ 結願遂げる遍路道

同行二人 三蜜修行 日々に勤めて怠りなくば 人生全たき遍路道

 

 

 

四国遍路心得の条

一、同行二人の条(どうぎょうににんのじょう)

金剛杖を大師と見立て共に旅する同行二人(杖はなるだけ突きましょう)

弘法大師空海の心を持って行じる同行二人(人を気遣う心を育てましょう)

二、札所入門の条(ふだしょにゅうもんのじょう)

   山門を入り、山門を出ずる、札所山門は(玄関)と同じ、脇道(勝手口)

   からの出入りは御仏への不敬と心得ましょう。

三、懺悔滅罪の条(さんげめつざいのじょう)反省

   手水場(ちょうずば)は心を洗う場所、身と語(口)と意(こころ)からなるけがれを懺悔する意思を示しましょう。

四、礼拝読経の条(らいはいどきょうのじょう)

   脇見をしながらの礼拝では何も届きません、心からの礼拝読経に心がけ、、後に続くお遍路さんの為にも参道通路を確保して一歩下がって読経をする心のゆとりを持ちましょう。

五、境内散策の条(けいだいさんさくのじょう)

   境内では走ったり騒いだりしないように心がけ、写真を撮るのも御仏に対し(参拝    

   のご記念に写真を撮らせて頂きます)との想いを持って納経の後にされることをお勧めします。

六、休息宿泊の条(きゅうそくしゅくはくのじょう)

   休息所、宿泊所での弁当等のごみは持ち帰り、後に続く人達の為にも整理・整頓・清掃に心がけましょう。

七、自然観仏の条(しぜんかんぶつのじょう)

   自然の中に身を置いて、草木や小鳥や虫たちの生き様と自らを対比するとき多くの気づきが得られます。それが御仏の諭しであり、日々心清められて行くのです。そしてそこに仏を観るのです。

八、一切感謝の条(いっさいかんしゃのじょう)

   何事にも「無くて当たり前、有って有難し」の感謝の心を遍路の中に養いましょう。

   「感謝」は愚痴・不足・妬み・怒り等の負の心を減じる十善戒の基です。

 

結願なされる時そこには心安らげるあなたが居られる事でしょう。

ご無事の結願をお祈り申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南無する心忘れまじ

 

 

発心の

 

念深くして

    

花ひらく

 

 

 

                              松 田 真 乘